ピラミッドと、スフィンクスを自分の目で見てみたい!!
月並みだけど、それがエジプト旅行のきっかけでした。

ギザの三大ピラミッド
クフ王のピラミッドを中心に
両側に小さなピラミッドがあります 修復中のスフフィンクス
今から、約4500年前に建造された、
  エジプトの象徴”ギザの三大ピラミッド。
世界の七不思議のひとつだそうです。
頭部はカフラー王に似せて造られ
体は権力を象徴するライオンの形をした、
スフィンクス。当時は、修復中でした。
後ろに見えるのは、ピラミッドです。

1990年10月6日
   雨の伊丹国際空港を飛び立ち、30分遅れで羽田空港に到着しました。
そして、羽田から成田国際空港へ。おりしも、成田への高速道路は渋滞中。
集合時間に間に合うかどうか、ヒヤヒヤものだったのを今でも覚えています。
期待に胸をふくらませて夕刻、予定通り成田からバンコク経由、カイロへと
エジプト航空機で、飛び立ちました。

   飛行機の中では、スチュワード(今は、アテンダント)のマヘラ氏と仲良くなり、
おしゃべりしたり、フルーツをいただいたり、バンコクまで快適な空旅でした。
成田→バンコク間では女性も乗務していましたが、バンコクで、
クルー全員交代となり、マヘラ氏と共に女性乗務員の姿も消えました。
イスラム圏では、男性と女性が同席する事はないからです。
どうして、成田→バンコク間だけ女性の姿があったのかは、わかりません。

   イスラムの男性は、普段女性と気軽にお話する事を禁じられているので、
飛行機の中ではスチュワード達が、女性客によく話かけていました。
スチュワードの一人が寝ている私を起こすので、何事かと思ったら、
英語のわからない日本人の女の子を連れてきて、
「通訳して。」なんて、事もありました。
   日本のエアーラインでは、考えられない光景ですね。
でも、嫌味がなく微笑ましくって楽しかったです。

   バンコクからカイロに向けて飛んでいる間に日付は変わっていました。
午前5時前。間もなくカイロ空港到着か?と思っていたら、
上空の天候が悪いとの事で、ルクソール空港へ寄航。
   ルクソールでは、一旦飛行機から降ろされ空港内施設内へ。
甘ったるいドローッとした、缶ジュースを手渡され、
何のアナウンスもないままに、待つ事3時間あまり。
周りには、機関銃を持った兵士達が立っていてビックリしました。
それもそのはず、1990年と言えば、湾岸戦争が始まった年でしたから・・・

   おかげで観光客も少なく、博物館等もゆっくりと廻る事が出来ました。


レストランの窓から見えるピラミッド

ピラミッドやスフィンクスは、
砂漠の真中にポツンとある物だと
思っていました。

昔は、そうだったのらしいのですが、
現在は、市街地化が急速に進められ
レストランの窓越しにピラミッドが
見える程に、なっていました。

ちょっと、がっかりしました。
ピラミッドの入り口に向かって歩く人々

右上の黒い部分がピラミッドへの入口です。
人と比べると、石の大きさや傾斜などが
よくわかるでしょう。

アブシンベル大神殿 アブシンベル大神殿

第19王朝、ラムセス2世によって
建造された岩窟寺院。

年に2日だけ、春と秋の早朝に
正面入り口から陽が射し込み、
奥の祠堂を照らし出すと言う
神秘的な設計になっています。

高さ40mの4つの巨大な
ラムセス像を見た時は
そのスケールの大きさに圧倒され、
そして、とっても感動しました。
アブシンベル大神殿の入り口横のレリーフ
アブシンベル大神殿入口横のレリーフ
イシス神殿 イシス神殿内のレリーフ

イシス神殿
アスワンダムが建設される前はナイル川辺りに
あったそうです。
アスワンダム建設によって水没する運命となって、
現在の小高いフィラエ島の上に移転されたそうです。

イシス神殿レリーフ
こんな高い壁に、このような大きなレリーフを
古代の人達はどんな風にして刻んだのか・・・
そして、この島に移転させた現代人の功績。
どちらも、素晴らしいと思いました。
ハトシェプト葬祭殿 ハトシェプト葬祭殿

エジプト唯一の女性ファラオ、
ハトシェプトが築いた葬祭殿です。

古代エジプトで最も美しい
建築物とされいるそうです。

'97.11月 無差別のテロ事件が発生し、
多数の犠牲者を出したと言う
痛ましい事件のあった場所です。

私達が訪れた時は、
湾岸戦争の影響で観光客も少なく、
ひっそりとしていました。
壁から天井に掛けての壁画

壁から天井に掛けて壁画

陽の当たる場所だった
ので、多少色が焼けたり、
剥げたりしていますが
素晴らしかったです。
アスワン
トラックの荷台に載った人々

アスワン
乗合タクシーならぬ、乗合トラックです。
「あんなに乗って、走るのかしら?」って
思いました。
そんなにスピードが出なくっても、
せきも慌ても、しないのでしょうね。

横を通るのは、外国人の乗った自転車1台。
対照的な光景にパチリ。

スルタン・ハサン・モスク
イスラム教寺院

スルタン・ハサン・モスク
カイロのイスラム教寺院です。
初めて訪れたイスラム教寺院です。
イスラム教徒は、中庭で手と足を
清めてから素足で中に入ります。
私達は、布製の靴カバーを渡され、
靴の上から履いて中に入りました。

カイロ
荷馬車に老人と子供がいて荷台に野菜を積んでいます

カイロ市内
12年経った今も、変わらない光景だと思います。
伊丹→飛行機→羽田→成田→機中箔→カイロ泊→飛行機→アスワン泊→飛行機→
ルクソール泊→車中泊→カイロ泊→機中泊→成田→飛行機→伊丹

機内で2泊、車中で1泊、ホテルで4泊。

   初めて乗った外国の列車。初めて見た外国のプラットホーム。
そして、初めて見た遺跡や、壁画の数々。
あっという間の8日間でした。

   紀元前2000年。
今から約4500年も前に、機械もコンピューターも何もない時代に
ナイルの夜空の星を眺めて、1年を365日と定めた人々。
草や木、石から染料を作り、壁から天井に掛けて壁画を一面に描いた素晴らしい人々。
緻密な計算の元に、築き上げられた正四角垂のピラミッド。などなど・・・

全ての物が、私に感動を与えてくれました。

成田→バンクク間のスチュワードのマヘラ氏が、カイロ空港へ、
見送りに来て下さったのも、感動ものの一つでした。

   「ピラミッドを自分の目で見たい!!」単純に、そう思って出かけたエジプト旅行で、
私は、数々の素晴らしい遺跡に出会い感激し、古代の人達のロマンに夢をはせながら、
もっともっと沢山の文化的遺産を見たいと思いました。
エジプトとの出会いは、私が本当に見たい物が何かを教えてくれ
その後の世界遺産巡りへのルーツとなりました。。


   それから、10年・・・・・・・・・・2000年。
21世紀の締めくくりに私は憧れの地、インドへと飛び立ちました。


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